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ふたたび「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」を考える(最終回) (198号 2011年3月)

ミスターリサイクル
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である(二宮尊徳)」
実は5年前にもこのコラムで紹介した言葉ですが、最終回にあたってもう一度考えてみたいと思います。2006年9月のコラムはこんな言葉で終わっています。

「民間」で出来ることを「役所」がおこなう必要があるのだろうか。また、「民間」では難しい事だからこそ「役所」でおこなうべきなのではないか。
日本資本主義の育ての親と言われる渋沢栄一さんは「片手に論語、片手に算盤」という至言を残している。「なぜ民間企業でやるべきなのか?」「なぜ行政機関でやるべきなのか?」を考えれば「官民競争」なんていうおかしな話にはならないのではないだろうか。

民間で出来ることというのはなんだろう?

最近、企業は営利を目的にしてはいるが、消費者の社会的信頼を得るためには社会から求められる課題の解決を本来業務に取り入れなければならないと考えられるようになりました。(企業の社会的責任<CSR>)

冒頭で紹介した言葉の「道徳」を「社会的課題の解決」に、「経済」を「企業利益(利益)」に読み替えてみると何かが見えてきませんか?
社会的課題の解決を考えない利益は犯罪であり、利益なき社会的課題の解決策は寝言であるとなります。
どうやら「民間」で出来ることとは、企業の本来業務を社会貢献とリンクさせ、企業利益と社会的課題の解決のバランスが取れていることのようです。
昨今、財政再建の名の下に独立行政法人が解体されています。作った時は必要だったはずなのに、今になって解体するのはナゼでしょうか? なぜなら「役所がおこなうべき事」とは、利益と社会的課題解決とのバランスが取れていないものだからです。
「財政がピンチだから」の一言で解体して良いことばかりではないと私は思っています。皆さんはどう思いますか?
6年もの永きに渡りご愛読いただきありがとうございました。
Mr.リサイクル 拝
ミスターリサイクル